妹が「絶対に予備校にだけは行かない」と言って、現役大学合格にこだわっていた。彼女いわく、もう1年余計に勉強したくないということだそうだ。確かに、予備校に行くと余計に1年勉強することになる。しかしながら、予備校にしかない思い出が作ることができるではないか、とポジティブな反論をしたくなるのである。なぜならば、自分は予備校生であったからだ。あの1年間というものは、今考えれば、かけがいのないものであったと思う。妹は宣言どおりに現役合格をして、スムーズに大学に進学した。ある意味、予備校に一年通わせてもらった自分よりは親孝行である。自分は、当然のごとく予備校に通い、余計に1年思い出を作ってから、大学生となったのである。予備校生のときは、自分もカリカリしていたし、親もカリカリとしていたと思う。しばしば口を聞かないこともあった。確かに、予備校生というものは社会的にはどのようなポジションなのかと考えることもあったのだ。しかしながら、予備校の頃には、辛い思い出や苦い思い出ばかりでなく、楽しい思いでもあった。高校では教えてくれないようなことを教えてくれたし、人生についても学んだような気がした。学生時代の中では濃い1年であったような気がする。あのような1年間を過ごせることは、おそらくこの先にもないのではないだろうか。大学に入ってから、その生活環境の緩さにびっくりしたものであるが、不思議なことに大学生活には半年で慣れてしまった。
数十年前になる話になるが、自分は予備校に通っていた。高校から大学受験に失敗し、予備校に通う事になったが、実際は予備校に通いながらも高校の流れで、遊びに通っていたようなものである。自分は特別に欲がなかったというか、行きたいという大学もなかった為、特別に意欲をもって勉強はしてなかった。ただ単に、友達も通い、親の目もあったので、言い方は悪いがダラダラと予備校に通っていた思い出しかない。
予備校というとどのようなイメージがありますか。自分の場合はほとんど勉強と食事と睡眠といった思い出しかありません。この予備校に関して、予備校生の場合は勉強の思いでしかないと思うのですが、知り合いに以前、予備校の講師の仕事をしていた人が居ます。予備校の講師の経験がある人というのもそれほど多くは無いだろうという印象があります。以前は予備校での講師だったその人は、今は別の学習塾を個人で開いて勉強を教えている人です。その人に、以前、夕食を一緒に食べる機会があり、予備校での講師の時の思い出を色々と話してくれたのをとても良く覚えています。
美大受験を目指していたため、一年浪人して美術系の予備校に通っていました。ほぼ実技中心の予備校での勉強は無論大変なものではありましたが、自分が目指す専門分野の本格的な勉強は楽しく感じるものでした。そして、勉強だけではなく、高校生までの生活から、何か大きく視野が広がったような日々の生活そのものが、予備校での忘れがたい思い出となっています。一般の予備校というのは私は通ったことがなかったので、実態がどういったものであるのか直接知ることはありませんでした。しかし、文系及び理系の大学を目指し、私と同じように浪人し予備校に通っていた友人たちの話を聞くと、私の送っていた予備校生活とは、雰囲気もその実態も大きく異なるものに感じていました。
初めて親の心を知った私の予備校時代の思い出を綴りたいと思います。それまで、あまり親心というのは気にしたこともなく、むしろ鬱陶しいという感じの方が強いような気がしていました。反抗期の時期も落ち着き、大学の予備校時代の勉強はとてもつらく、一番私の人生の中で勉強した時でした。思い出としてどこか遊びに行ったという記憶よりも、夜食に母がおにぎりをこしらいて、がんばってね、と差し入れを入れてくれる思い出が印象に残っています。海に毎年行っていた家族旅行も、この予備校の時はいかず、一心不乱に勉強していましたから、思い出はありません。
私は予備校に行ったことはありませんが、大学に入って「予備校に行っていた。」という人たちと一緒に学習していた思い出があります。高校の時までは、1つ、ないしはいくつか年上の人が一緒に勉強する、ということはまったくなかったので、同じクラスに年上の人が混じっているという現実のが、当時はとても不思議に思えていた記憶があります。私の通っていた大学は、1年生の時は学部関係なく「一般教養」の講義全般を一斉に同じ校舎で受け、2年生になって、それぞれの専門に分かれるというシステムでした。